設計士やインテリアコーディネーターを目指す学生へ送る
AIが発達し、景気が悪くなり、就職が厳しくなる。
これから不要になる仕事が増え、必要とされない人材も溢れていく。
そんな話になると、
「これからは特殊な技能を持っていなければ生き残れない」
「何かの分野でナンバーワンにならなければいけない」
という話をよく耳にする。
もちろん、専門性を磨くことは大切だ。
しかし、
自分の現在地から目をそらし、逃げてはいないだろうか?
まわりを見てみてほしい。
誰にも真似できない能力を持つ人。
ぶっちぎりのナンバーワン。
そんな人が、実際にどれだけいるだろう?
私から見る限り、本当にそんな人は驚くほど少ない。
ほとんどの人が、個々の技能だけを見れば、他の誰かと取り替えられる範囲の能力で仕事をしている。
私だってそうだ。
もし、
「特殊な技能がなければ生き残れない」
「ナンバーワンでなければ価値がない」
という話が本当なら、
ほとんどの人間は生き残れないことになる。
でも、現実はそうではない。
では、なぜ私は「逃げ」という言葉を使ったのか。
目の前に高い壁が現れたとき、遥か彼方にいる天上人のような人を見てしまう。
ものすごい才能があったら。
特殊な技能や、圧倒的な武器があったらって。
「あれがあれば、自分だって」と考える。
つまり、飛び道具を探し始める。
なぜか?
自分自身を直視するのが恐いからだ。
条件の揃った架空の自分を想像して、今ここにいる自分では勝負しない。
さらに厄介なのは、そうやって仮定の世界にいると、障害まで自分でつくり始めることだ。
「この能力、この資格がないから無理」
「今からでは遅い」
「どうせAIに置き換えられる」
まだ何もしていないのに、頭の中には大きな壁が出来上がっている。
はたして、それは現実なのか?
実際にやってみると、
「あれ、意外とできるじゃん」と思うことは結構ある。
ものすごく高度に見えていたことも、順番に勉強していけば身につけられることがある。
思っていたほど競争相手がいないこともある。
自分にとっては大したことではない能力が、目の前の誰かにはドンピシャリで必要とされることだってある。
想像していたほど厳しくないことも多い。
でも同時に、ものすごくシビアでもある。
少なくとも、私が直面してきた「現実」は、そういうものであった。
だから、私から学生に伝えたいことは、意外とシンプルだ。
何でもいいから、まず何かやってみてほしい。
もう少し言い方を変えるならば、
自分がこれだと信じるものを、まず現実の中で、積み上げてほしい。
それに意味があるのか?無駄ではないか?
もっと効率の良いやり方があるのではないか。
それを考えることも大切だけれど、その答えの多くは、やってみた後にしか分からない。
「専門家が意味はないと言っていた」
「先生が遠回りだと言っていた」
それだけで、自分の答えを決めなくてもいい。
それはあくまで、一つのセオリーだからだ。
もちろん、先人の知識や経験には価値がある。
セオリーを知ることも大切だ。
でも、そのセオリーが、そのまま自分にも当てはまるとは限らない。
自分で試して、
「やっぱり先生の言う通りだった」でもいいじゃないか。
自分でやって、自分で確かめた。
その時点で、それは誰かから聞いた知識ではなく、自分の経験になる。
君自身の答えになる。
そうやって少しずつ、仮定の世界から現実の世界へ出ていけばいい。
天上人のように見えている人たちだって、最初から今の姿だったわけではないはずだ。
必要だから勉強した。
失敗したから考えた。
求められたから技術を磨いた。
それを何年も積み重ねた結果、いつの間にか、まわりから「特殊な能力を持った人」に見えるようになった。
多くの場合、そんなものではないだろうか。
大切なのは、世界がどうあれ、自分がやるべきだと信じることをひたすら積み重ねること。
そして、たぶん、これが一番難しい。
少なくとも、私は今でも、この苦しさに悩む時がある。
ほとんどの人にとって、いきなりスーパーマンになることはできない。
学生のうちから圧倒的な知識を持っているわけでもない。
誰にも負けない技術があるわけでもない。
誰も思いつかない発想を、次々に生み出せるわけでもない。
だったら、いきなりスーパーマンを目指さなくてもいいのではないか。
ほとんどの人には、最初からそんなことはできないのだから。
まずは、できることをやってみて欲しい。
おそらく、最も簡単に、自分の存在意義に納得する方法は、
誰か一人、目の前の人のスーパーヒーローになろうとすることだろう。
スーパーマンになるには、特別な能力が必要だろう。
でも、誰かのスーパーヒーローになるのには、ほとんどの場合、最初から圧倒的な能力は必要ない。
目の前に困っている人がいる。その人の話を聞く。
自分なりに考える。分からないことを調べる。
できる範囲で、何かをつくってみる。
設計だって同じだ。
世界一美しい建築をつくれなくてもいい。
誰も見たことのないデザインを生み出せなくてもいい。
まずは、目の前の一人にとって、本当に必要なものを考えてみる。
その人から、
「あなたに頼んでよかった」
と思ってもらえたなら、その瞬間、少なくともその人にとってはスーパーヒーローだ。
そして面白いのは、スーパーヒーローであろうとすると、結局、それ相応の能力が必要になってくることだ。
もっと良いものを返したい。もう少し役に立ちたい。
期待されたものより、少しだけ良いものをつくりたい。
そう思えば、最初は、
知識・技術・経験が足りないことに気付くだろう。
だから、学ぶ。考える。試す。失敗する。
そして、また考える。
その繰り返しだ。
そうやって一人、また一人と、誰かのスーパーヒーローであろうとし続ける。
そうやって積み上げていけば、
いつの間にか、他の人には簡単に真似できないものが、自分の中にできている。
つまり、
スーパーマンになってから、誰かのスーパーヒーローになるのではない。
まず、目の前の誰かのスーパーヒーローになる。
それを積み重ねていたら、結果としてスーパーマンのような人になっていた。
順番は、たぶんこっちだと思う。
だから、特殊な才能を探すことに焦らなくてもいい。
ナンバーワンになる方法ばかり考えなくてもいい。
まずは、
今の自分に何ができるのか。
目の前の人に、何を返せるのか。
そこから始めればいい。
そして、実は、
そうやって誰かのスーパーヒーローであり続けること自体が、
スーパーマンであることに、いつか君も気付くのかもしれない。
そのとき、君はもう、
自分はナンバーワンになれるか?特別か?
なんて、それほど大切なことではないと気付くだろう。
誰かのために考え、つくり、失敗し、また考えてきた。
そうやって、自分だけの人生を歩んできた。
その積み重ねは、最初から与えられた才能なんかより、ずっと君自身のものになるからだ。
2026年9月7日
設計事務所 Tabi
和田 貴裕
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