多くの設計事務所や建築家は、いわゆる「一般論」のブログを書かない。
理由はいろいろあると思う。
なんとなく格好が悪い。
デザイナーや作家らしくない。
自分たちの作品性や世界観に共感してくれる人だけに届けばいい。
細かく説明しなくても分かる人だけを相手にしたい。
そんな感覚もあるのだろう。
確かに、住宅やリノベーションについての一般的な情報は、すでに世の中に溢れている。
断熱とは何か。
耐震とは何か。
リノベーションにはいくらかかるのか。
どんな間取りが使いやすいのか。
検索すれば、いくらでも出てくる。
だから、
「そんな当たり前のことを、建築家がわざわざ書く必要はない」
と思う人もいるかもしれない。
ただ、私はそうは思わない。
本質的に重要なのは、
一般論が十分にあるかどうかではなく、
どの立場から発信されているのか?
という点だと考えているからだ。
住宅についての一般論を検索すれば、
多くの場合、ハウスメーカーや工務店、リフォーム会社、不動産会社などが発信する情報に辿り着く。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。
それぞれの会社が、経験や知識をもとに情報を発信するなんてことは当たり前だ。
ただし、
注意しなければならないのは、
「情報の裏側には、必ず、発信者の立場がある。」
ということ。
もちろん、組織には組織の都合がある。
扱いやすい構法。
標準化された仕様。
売りやすい商品。
誰が担当しても同じように説明できる仕組み。
これらは、事業として考えれば、極めて合理的だろう。
しかし、その合理性と、建築としての本質は必ずしも一致しない。
扱いにくいものは避ける。
判断が難しいものは単純化する。
担当者によって答えが変わるものは、最初から選択肢から外す。
そのためにつくられた情報が、
いつの間にか「住宅の常識」として広がっていく。
そこに危うさを感じないだろうか?
たとえば、
「複雑な形の建物は、構造的に弱いですよ」
と言われることがある。
もちろん、形によって構造計画が難しくなることはある。
しかし、複雑な形だから弱いのではない。
その形に対して、適切に構造を成立させられるかどうかが本質だ。
「大きな窓は危険です」
「この壁は取れません」
「この間取りはできません」
「この建物はリノベーションできません」
こうした言葉も同じである。
本当にできないこともあるだろう。
しかし、
「できません」という言葉の中には、
建築として不可能なことと、
単にその会社では対応できないことが混在している。
さらに言えば、
その仕組みでは解決できないだけ、
という場合さえある。
ここは、まったく違う話だ。
けれど、一般の人がその違いを判断することは難しい。
住宅会社の担当者や営業マンから、
「普通はやりません」
「構造的に無理です」
「この方法しかありません」
と言われれば、多くの人は、
それが建築そのものの限界なのだと信じ込む。
そして、その「普通」が繰り返し語られるほど、
本当は設計によって解決できることまで、
いつの間にか「できないこと」として社会に定着していくのだ。
私は、それが非常にもったいないと思っている。
設計とは、本来もっと自由なものだ。
自由というのは、好き勝手に形をつくるという意味ではない。
様々な知恵を出し、
最適な答えを選び取っていくこと。
これは、既にある選択肢から選ぶことと、似ているようで、全く異なる。
けれども、この違いは、一般の方にはほとんど知られていない。
ある意味、理解が及ばないのは、仕方のないことかもしれないが、
設計者自身がほとんど説明してこなかったことにも原因の一端はあると、私は考えている。
建築家は作品をつくり、作品を見せる。それだけでも仕事は成立する。
むしろ一般論を語ることを、
「建築家らしくない」と感じさせる文化すらあるだろう。
しかし、設計者が語らなければ、
設計についての「普通」は、別の立場からつくられていく。
本当に、それでいいのか?
社会全体が本質から距離をとっていくように、私には見えている。
誰もが扱いやすく加工された「普通」の方が、
世の中には広がりやすいのだろう。
本当に設計を自由自在に扱える人ほど、
何も語らない一方で、
決められた範囲の中でしか設計を扱えない側ほど、
分かりやすい「正解」を大量に発信する。
これが、これまでの住宅業界ではないだろうか?
結果として、
住宅について詳しく調べた人ほど、
実は狭い選択肢の中に誘導されてはいないだろうか?
私は、それを変えたい。
だからこそ、一般論を語るべきだと信じている。
作品性や美意識の話だけではなく、
住宅を考える人が本当に知っておいた方がいいことを、
設計者の立場から、もっと普通に伝えていく。
それは、本当に、建築家の価値を下げることなのだろうか?
むしろ私は、これこそ、設計という仕事を社会に開いていくことだと思っている。
ゆえに、あえて言おう。
本質が語られ、多くの方の共通理解となってしまえば、困る人も多いだろう。
なぜなら、住宅会社にも、設計者にも、今まで以上のものが求められるようになるからだ。
しかし、それこそが本来、住宅業界のあるべき姿ではないだろうか。
私は、今の社会から「設計」を取り戻したい。
設計とは何なのか。
設計によって、どこまでできるのか。
それを、もっと多くの人に知ってもらいたい。
そのために私は、設計者の立場から、これからも一般論を書き続ける。
2026年8月30日
設計事務所 Tabi
和田 貴裕
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