合理性という言葉には、
どこか「無駄を省く」というイメージがあるかもしれない。
安くつくる。
早く進める。
手間を減らす。
標準化する。
どれも、ある意味では重要なことだろう。
建築でも、限られた予算や時間の中で物事を進める以上、合理性を無視することはできない。
ただ、
「合理性=効率」とだけ捉えることには、
少し違和感がある。
なぜなら、
「目の前では効率的に見える選択が、
全体で考えると必ずしも合理的とは限らない」
ということはよくあるからだ。
例えば、
設計の検討を早く終わらせれば、
その時点では効率がいい。
しかし、
十分に考えないまま工事へ進めば、
現場で変更が生じたり、
完成後に使いにくさが残ったりすることもあるだろう。
果たして、それは求めているゴールだろうか?
本当に大切なのは、理想を実現することではないだろうか?
コストについても同じことが言える。
単純に安いものを選ぶことが、必ずしも合理性につながるとは限らない。
耐久性やメンテナンス、更新性まで考えれば、
最初に多少費用をかけた方が合理的なケースも多いものだ。
つまり、
何を合理性とするかは、
「どこまでを判断の範囲に含めるか」
で変わってくる。
建築費だけを見るのか。
維持費まで見るのか。
施工のしやすさだけを見るのか。
そこで暮らす人の使いやすさまで考えるのか。
美しさや心地よさも無関係ではないだろう。
私の手がけた建築に身を置けば、
「そりゃ、同じ金額ならこっちがいいに決まっている」
誰しもが言うからだ。
美しさを追求することも、
単なる装飾とは言えないだろう。
住宅は、暮らしを受け止める舞台。
数字上の性能を満たせば完成というものではない。
毎日使い、毎日目にするものだからこそ、
空間が整っていることや、違和感なく過ごせること。
そこにも、確かな価値があると私は思う。
そもそも、
私は、機能と美しさを別々に考えてはいない。
構造、性能、施工性、コスト、使い勝手、素材、寸法。
それぞれに理由を持たせながら、
矛盾がないよう全体を整え成立させていく。
建築美は、その結果として、
自然と立ち現れるものだと信じているからだ。
時には、
「そこまでやる必要があるのか」
と思われるほど追求することもある。
けれど、建築設計の本質は、
どこに手間をかけるべきか。
どこに費用をかけるべきか。
反対に、どこなら省いても建築の価値を損なわないのか。
その一つひとつの問いに対して、
最適解を選び続けることにあると信じている。
例えば、mm単位の調整で、
使いやすさや施工精度、空間の見え方まで整うのであれば、
1mmにこだわらない理由などあろうものか。
一方で、
必要以上に高価な材料を使うことが、
必ずしも良い建築につながるわけではないだろう。
大切なのは、
単純な「安い・高い」「早い・遅い」ではなく、
その選択が、適切かどうかだ。
必要なところには、しっかりと手間と費用をかける。
その一方で、意味の薄いものには使わない。
そうやって、全体を整え、
理想を現実へ、たぐり寄せる。
私たちが考える合理性とは、そういうものだ。
目の前の効率だけではなく、使いやすさ、美しさ、耐久性、将来性まで含めて考える。
合理性の先に、より本質的な合理性がある。
そう、私は信じている。
2026年8月26日
設計事務所 Tabi
和田 貴裕
▶ Tabiの思想