誰のために建築をつくるのか。
何と向き合い、仕事をするのか。
この答えは、建築家によって、様々なようです。
誰が賞を取った。
どの作品が雑誌に掲載された。
建築界で、どのように評価されている。
あの人は有名だ。
そんな話を耳にすることもあります。
もちろん、それらを否定するつもりはありません。
社会的、学術的に意味もあると思います。
ただ、私は昔から、その類の話には根っから興味がない。
自分の作品が、建築界の中でどう評価されるのか。
世の中的に、新しいのか。
賞を取れる建築なのか。
そうしたことを考えて設計したことは、ほとんどありません。
特に、プロになってからは、一度もない。
賞レースに参加してみたら?と勧められたこともありますが、単純に面倒という理由で、断りました。
では、誰の評価を見ているのか。
まずは、施主です。
住宅であれば、そこで暮らす人。
店舗や施設であれば、そこで働く人や使う人。
そして、その建築に関わる人や、その場所を含む社会。
建築は、建築家だけのものではありません。
実際に使う人がいて、暮らしがあり、仕事があり、その土地の日常の中に建ち続けていくものです。
だから私はまず、
この人にとって、本当に良い建築なのか。
使いやすいか。心地よいか。
予算に対して適切か。
長く使い続けられるか。
そして、その場所に建つものとして、成立しているか。
そこを見ています。
施主やユーザーを置き去りにして、建築家だけが満足するものをつくっても、私は良い仕事だとは思えません。
ただ、それだけでもない。
一つのプロジェクトが終わったとき、最後に自分自身へ問いかけることがあります。
「これは、自分にしかできない仕事だったか。」
ということです。
建築には、一つとして同じ条件がありません。
施主の価値観も違えば、敷地も、予算も、法規も、構造も違う。
その一つひとつに向き合い、
何を残すのか。削るのか。
どこにお金を使うのか。
どの問題を、どう解くのか。
考え続けた先に、自分だからこそ導けた成果であったか。
そこは、とても気になります。
「自分にしかできない」というのは、奇抜な建築をつくるという意味ではありません。
誰も見たことのない形をつくることでもない。
同じ条件を渡されたとしても、考える人が違えば、答えは変わるでしょう。
何を大切だと思い、美しいと思うのか。
どこに違和感を覚えるのか。
どこまで考え抜くのか。
そうした判断の積み重ねに、設計者そのものが現れる。
だからこそ、
施主やユーザーにとって良い建築であり、成立している。
その大前提を満たした上で、
「これは、自分だからできた仕事だ」
と思えるところまで、つまりは、私の作品だと胸を張れるところまで持っていきたい。
そして、もう一つ。
自分自身が、その仕事を評価できるか。
私は、そこも大切にしています。
賞を取っても、同業者から評価されても、
自分の中で、「もっとできたはずだ」と思いたくはない。
賞とは無縁だったとしても、
施主や使う人に応え、その場所に向き合い、自分の力を使い切った結果として、
「これは良い仕事ができた」
と自分自身で思えるなら、それは私にとって価値のある仕事です。
賞やメディアは、突き詰めれば、建築界の中で、同業者から与えられる評価の一つだと思っています。
もちろん、それ自体に価値がないとは思いません。
ただ、自分の仕事の価値を、そうした外側の評価に委ねたいわけではない。
依頼主以外の誰かに認められるために建築をつくるのではないのですから。
これまでの自分の設計者としての人生と、
これから自分が生み出す建築に、自分自身で責任を持つ。
その覚悟を持って、私は設計をしています。
2026年8月20日
設計事務所 Tabi
和田 貴裕
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